ある日のOETのスピーキング。 | アクティブウーマン看護留学ブログ

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ある日のOETのスピーキング。


みなさん、こんにちは。
先週末はずっと雨でしたが、4月25日はANZAC デーでした。

これはオーストラリア、ニュージーランドの終戦記念日のようなものです。

第二次大戦の時、日本もダーウィンなどオーストラリアを攻めたので、
20~30年前はこの日はオーストラリアにいる日本人には
外に出てないよう言われたそうです。

今週はOETについて書かせていただきます。

OETとはOccupational English Test(OET)という
母国で医療専門職者の資格をすでに持っており、
それをオーストラリアの資格に変換する
医療英語テストのことで、MLCではそれの試験対策のクラスになります。

(この試験で4科目全てにおいて、B判定以上とることが合格とされていて、
合格したらこの後実習もあり、それを終えて、
オーストラリアで働ける正看護師(RN)の資格となります。)

医療、医者、歯医者、理学療法師、看護師、助産師、臨床検査技師さん
などが現在在籍しています。

国としてはインド、フィリピン、エチオピア、スリランカ、中国、韓国、
ルーマニア、ブラジル、日本などで、
オーストラリアにきてすぐこのクラスに入ったという方もいれば、
9年オーストラリアにいて、
こちらの学校を卒業したという人もいたりと様々です。

しかし、一般英語からこのクラスに参加するのは日本人ぐらいなので、
クラスの雰囲気はガラリと変わります。
(年齢層ももちろん一般英語より高めです。)

クラスの時間割りとしてはきっちりwriting,speaking,listening,readingと
きっちり別れていて、生徒によっては自分の弱い所を把握し、
コマごとに授業を受けている人もいます。

IELTSのクラスもそうだったのですが、OETのクラスでは
より一層テスト対策のクラスということを実感しています。

(あくまだ私の意見ですが、一般英語とはクラススタイルや
内容全然違う気がします。
今の生活にすぐ役に立つのが一般英語、将来につなげ
フォーマルだったりアカデミックなのが、IELTSやOETのクラスと感じます。)

まず、今回は私の大の苦手とするスピーキングについて
お話したいと思います!(笑)

OETのスピーキングテストは医療従事者と患者の会話形式で行われます。

もちろん、受験者は医療従事者側で、タスクが与えられていて、
様々なケースの患者さんから、情報収集をし、傾聴、説明、説得、
アドバイスなどタスクに沿って行わなければなりません。

タスクシートを読むのが2分、ロールプレイが5分です。
ある日のタスクは、患者さんが怒っている設定でした。

1ケース目は
予約時間より過ぎ、長い時間待たされて、
大切な仕事の会議もキャンセルしなくてはいけなくなり、
今すぐ仕事にも帰らなくてはいけない!と怒りに満ちた人の設定でした。

2つ目のケースは救急外来にて、息子が指を切っていて、痛くて泣いている。
後から来た患者が、先に診察を受けている様子と怒っているお父さん。

(このロールプレイでは、医療者立場よりも患者側が大変な演技力と
語彙力が必要でした。(笑))

もちろん、臨床を想定したテストなので、スピーキングテストに
正確な答えはないと言われていて、タスクを含んでいれば、
各個人自分なり考えで答えていきます。

1ケース目の時に、CDにて例が出されたのですが、
私としては最初に医者が謝っているだけで、
医療者側の態度が医療者本位になっている気がしたのですが、
隣に座っていたルーマニアのクラスメイトは、最初に謝っているし、
理由の説明もきちんと行っているから、
このケースは悪くないと違った視点でした。

また2つ目のタスクで、ペアになって練習を行ったのですが、
痛み止めならすぐに出すことが出来るが、
診察にはもう少し時間がかかる という、受け答えをしてて、
日本では考えられないアイディアがあり、
オーストラリアのシステムに合わせたり、
各国の様々な視点から考えることができとても勉強になります。

スピーキングのテーマは本当に様々ですが、
日本の看護学校や臨床でも学んだ基本的には受容、
傾聴、共感が大切を生かし
色々なシチュエーションに合わせて、
疾病や気持ち(不安がっていたり、怒っていたり、他人事だったり)を理解し、
医療者としての知識、そして人間としての幅を広げていく勉強になります。

最後に先週末、ネパールで起きた大震災が起きました。

この留学のきっかけを作ってくれたのがネパールでのボランティア活動だったので、
その時知り合った方々はもちろん、あの街に溢れてた笑顔などを考えると
本当に日々心配しています。

メルボルンでも、普段はゴシップ紙のようなフリーペーパーでさえ
一面に書かれていました。

そして、英語が少し読めるようになってよかったということは、
世界のニュースは英語が使われているので、
現地のニュースが自分の目で確認できるようになったことです。

やはり日本のニュースなどでは情報が少ないです。
関心をよせ、祈ることなどしかできませんが、
一人でも多くの命が助かることを祈っています。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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